今学期は、フルタイムの仕事の傍ら、大学院の授業(ゼミ)を一つだけ毎週聴講をさせてもらっています。私の専門とは全く関係のない「日本文学」、しかも、「戦前の文学」のクラスです。

昔、国語や現代文の授業で使った”国語便覧”とかに出てくる用語をまた一から勉強し直している気分です(笑)

本音としては、はっきり言って、「文学」にはあまり興味が無いのだけど、日本語教師として、日本文学の教養を身に着けておくこと、知識として知っておくべきことかな、という想いもあって、この三年くらい聴講させてもらえたらなあ、とタイミングを見計らっていました。

でも、当時は小さい子供を抱えて(今もまだ十分小さいけど ><;)、中距離通勤もあったし、時間的余裕はなく…去年は去年で、通勤時間は短くなったものの、仕事の方の負荷が大きくて、精神的な余裕が無く…なかなか自己啓発のための時間を取ることはできずにいました。

ちょうど、大学院時代に唯一取ってみたかった文学の授業があったのだけど、教授がサバティカルで一年いなかったりで、取れなかったんですね。その授業が、今学期オファーされるということで聴講をお願いし、ご快諾いただいた、という流れ。今学期は、私自身にもちょっとだけ時間的、気持ち的に余裕があるので、実現しました。

私の専門の言語教授法の分野と文学の分野では、リサーチの方法論も違えば、大学院の授業方法も全くことなることに毎回驚かされています。それに、日本文学と言えども、文学は文学、アメリカが舞台なので、相当な英語力を要するなあ、というのが実感です。でも、日本文学の原文と英文翻訳を読んでの、文体に対する比較とか、アメリカ人の視点から考える日本文学の背景にある日本人論、歴史的時代背景などのディスカッションはすっごく面白いです。

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昔、大学院生だった時、当時博士課程を終えようとしていた先輩から言われた言葉が今でも強く私の心に残っています。

「仕事で必要とされるのは、専門で秀でることは最低限、プラスアルファで何を持っているか、それと自分の専門をつなげて何ができるかだ。」

確かに、夫の専門分野(物理)を見ても、サイエンス系の博士とMBAを併せ持っている人なんか、引っ張りだこで大金を稼いでる人いますね~(笑)翻訳者を見ても、言語ができるのは当たり前で、訳をする内容の知識(コンピューター、医療、文学等)を持って初めて成立する仕事だし。

私自身も、去年初めて上級クラスを教えたことは、言葉そのものを教えていく初級クラスでは遭遇しない「内容を教える難しさ」にも直面して、”仕事の幅”を広げないといけないな、と思ったきっかけでもありました。

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大学院を出てから現場一筋でやってきて早7年目、久々にアカデミアに一部戻れて、ちょっと刺激的な日々、しばらく楽しみたいと思います♪